「我慢」という煩悩:仏教における慢心と自我

「我慢」という煩悩:仏教における慢心と自我 仏教と心
「星に届ける願い」

〜仏教における慢心と自我執着を考える〜
※仏教哲学の解説

「我慢」という言葉を聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。
現代の日常会話では、「辛いことに耐える」という意味で使われることが多いこの言葉ですが、実は仏教においては全く異なる、そして極めて重要な意味を持っています。

仏教における「我慢」とは、自己への執着から生まれる慢心、すなわち煩悩の一つです。
私たちは知らず知らずのうちに、この我慢という煩悩に囚われているのかもしれません。
今回は、この「我慢」について、その本質を探っていきたいと思います。

我慢とは何か

仏教用語としての「我慢」は、梵語で「アートマ・マーナ」(ātma-māna, 自尊)あるいは「アスミ・マーナ」(asmimāna, 自負心)と表現されます。
これは、自分を偉いと立てる慢心であり、強い自我(自己)意識から生まれる煩悩です。

具体的には、「我」または「わがもの」があると思う誤った見解から生じます。
これは有我論に関わる慢心であり、我執から自分を高く見て他人を軽視する心のことです。
自分を頼んで自ら高しとすること、自己を恃んで他人を軽んずる意識、これらはすべて我慢という煩悩の現れなのです。

言い換えれば、我慢とは自分自身に固執して他人を侮ること、うぬぼれです。
自分を偉く思い、他を軽んずる高慢な心。
思い上がりの心、うぬぼれの心、心が驕る、驕り高ぶる煩悩。そして何かにつけて「俺が俺が」と自己主張してやまない態度——これらすべてが我慢という煩悩の姿なのです。

日常生活に潜む我慢

私たちの日常生活を振り返ってみると、この我慢という煩悩の例は至るところに見られます。

たとえば、いわゆる「オレオレ詐欺」のように、他人の都合はお構いなしに支配しようとする人がいます。
これは極端な例かもしれませんが、程度の差はあれ、私たち自身も日常の中で無意識のうちに他者を軽んじたり、自分の考えを押し付けたりしてはいないでしょうか。

会議で自分の意見ばかりを主張する人、家族に対して「自分が正しい」と決めつける態度、SNSで他者を見下すような発言——これらはすべて、大なり小なり我慢という煩悩の現れと言えるでしょう。

本来の意味と変遷

現代では「耐え忍ぶ」というポジティブな意味で使われますが、本来は「煩悩の一つ」として否定的な意味を持っていました

本来の意味(慢心・うぬぼれ)
「自分(我)」という存在に固執し、自分を高く評価して他人を軽んじる「慢心」や「おごり」を指します。
仏教で捨てるべきとされる煩悩の一つです。

意味の変遷
「自分を押し通す(我を張る)」→「強情を張る」→「負けん気が強い」という流れを経て、現在のように「人に対して弱みを見せずに耐え忍ぶ」という良い意味に転じました。

禅の修行における我慢の罠

興味深いことに、禅の修行においても、この我慢という煩悩は大きな落とし穴となります。

禅では、我慢して坐り続ける厳しい修行を行います。
しかし、そうした修行を通じて天地自然と一体になるという悟りの体験を得たとき、そこに我慢が生じてしまうことがあるのです。
「自分は悟った」という思いそのものが、我見の増長になってしまうというわけです。

むしろ、ささやかな幸せに気づき、楽しみながら山を歩くとき、自我意識は薄らいでいくと言われます。
これは、修行の成果を誇るのではなく、自然との調和の中に身を置くことの大切さを示しているのでしょう。

たとえば、「私は山の神になった」と思い上がるのは、まさに我慢です。
しかし視点を変えて、「山の神は私を認識してくださった」と謙虚に考え直すとき、我見や我慢は薄らいでいくのではないでしょうか。
これは、主客の転換とも言える重要な視座の変化です。

真の悟りへの道

もしも私たちの心が、まだ我見や我執でいっぱいであるならば、それは魂がまだ濁っている状態であり、真の悟りには到達していないと言えるでしょう。

理想的なのは、浄化された魂が、行住坐臥——つまり日常の立ち居振る舞いのすべてに影響し、ささやかな幸せを見つけられる状態です。
道を歩くとき、食事をするとき、人と話すとき、そのすべての瞬間に清らかな心で向き合えることが大切なのです。

そして、その僅かな幸せが、もしも善行へと繋がっていくならば、さらに素晴らしいことです。
自分の小さな幸福を感じることができる心は、他者への思いやりや善意を生み出す源泉となるでしょう。

ただし注意すべきは、浄化するだけでは悟りには至らないということです。
継続的な努力と、自らの心を観察し続ける実践が、悟りへの道には不可欠なのです。
我慢という煩悩に気づき、それを手放していく——この地道な修行こそが、真の悟りへと私たちを導いてくれるのではないでしょうか。

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おわりに

現代社会は、自己実現や自己主張が重視される時代です。
しかし、そうした中でこそ、仏教における「我慢」という煩悩の教えは、私たちに深い示唆を与えてくれます。

自分を大切にすることと、自己に執着することは異なります。
他者を尊重しながら、謙虚に生きること。
これは決して自分を卑下することではなく、むしろより豊かな人生への道なのかもしれません。

次回は、「増上慢」についてお話しする予定です。
我慢がさらに深まった状態とも言えるこの煩悩について、引き続き考えていきたいと思います。

 

【参考文献・サイト】

  • ダイヤモンド・オンライン、妙心寺、円覚寺、論蔵、その他仏教関連文献
  • 2025年4月21日bloggerに公開

 

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最後まで読んでくださいまして、ありがとうございます。

皆様の日々が、穏やかで心豊かなものでありますように。

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