自己肯定感ゼロの社畜:働きすぎの末に崩れたプライベートと、手放す練習

自己肯定感ゼロの社畜:働きすぎの末に崩れたプライベートと、手放す練習 心の仕組み

コラム / ブラックユーモア / 生きづらさ

朝日が昇るたびに思う。
「今日も誰かの役に立たないと、生きてる意味ある?」

その呪い、そろそろ手放しませんか。
元・貢献中毒の私が、笑って語ります。

「働きすぎて倒れたら褒められる」って、どこの闘技場の話ですか?

私はずっと、貢献できなければ存在価値がないと思っていました。
役に立つことが、生きている証だと信じていました。

でもある日、身体が勝手に終了ボタンを押しました。
ベッドの上で、天井に向かって
「え、ここでゲームオーバー?」
とツッコミながら気づいたのです。

評価のために生きるの、私はもう無理。

おはようございます。
今日も誰かのために全力ですか?

ちょっと待って。
あなたが笑ってるだけで、世界はちゃんと明るいから。

このページでは、
「自己肯定感が低い」「人の役に立たないと不安」
「頑張りすぎてしまう」「生きづらい」
と感じる人のために、心の仕組みを解説しています。

ブラックユーモアを効かせながら、悩みの正体を言語化。
無理せず自分を大切にできる考え方をお届けします。

1章|「評価されたい」という呪い

社会人は成果で息をしている

社会人は貢献してナンボ。
そう育てられた私は、
「貢献」ボタンを押しっぱなしで生きてきた。

自分の残業時間より
他人の満足度が大事。

評価されると嬉しい……
というより
「よかった、存在がバレずに済んだ」
と胸を撫でおろしていた。

そして気づけば、
私の人生は会社の福利厚生と引き換えに
どこかへ消えていた。

「働きすぎはダメ」って、
じゃあ誰がこの社会回すのよ?
というツッコミを飲み込みながら、
今日も“貢献過多”の回転寿司レーンを
ひた走っている。

役に立てないと、存在価値はゼロ?(そんなわけないのに)

そんなある日、SNSでこんな言葉を見つけた。

「自己肯定感が低い人ほど、必死に貢献しようとする」

……やめてくれ。
私の人生、まるっと図解されてるじゃないか。

「貢献は美徳」だと思っていた私に、
まさかの心理学パンチ。

救われた気がしたのは確かだ。

でも同時に、
私が頑張ってきた理由が「不安」とか「恐怖」だったとか、
そんなオチありですか?

あの時の私は、
ノートPCを閉じる手より
心の方がずっと震えていた。

過去を振り返ってわかったこと

思い返せば、私はいつも
「便利な人」ポジションに自然着任していた。

依頼は“仕事”より“お願い”の形で飛んでくる。

「これ、ちょっとだけお願い」
「あなたなら早いでしょ?」
「代わりにやっておいたから、感謝してね?」

そんな言葉の前では、
断る権利なんて存在しなかった。

2章|ブラックな気づきは、倒れた床の上でやって来る

プライベート崩壊

だって私は “貢献マシーン”。
スイッチを切るという概念がなかった。

挙句の果てに、
頑張りすぎて倒れた日の評価は
「責任感が強い」だった。

……いや、強すぎて壊れてますけど?

そのとき初めて
私が守っていたのは“仕事”じゃなくて
見捨てられる恐怖だった

と気づいた。

身体が「ギブ」と叫んでも、プライドは「まだいける」と言う地獄

仕事で貢献しすぎて死にかけたのに、
プライベートまで元気に崩壊したのは、
今思えばすごい才能だと思う。

夜眠れなくなり、食欲が迷子になり、
病院で「休んでください」と言われたときも、
私の反応はそれだった。

「休んでる場合じゃないでしょう?」

もはや病んでるのに、
病んでる自分を認めない病

失恋すらできないほど、心を無視していた話

失恋もしてないのに心が死んだなんて、
プライドが許さない。

恋で傷ついたことにすれば
ドラマチックだったのに、
現実は
昼夜逆転と未返信のLINEと、
ギリギリの呼吸だった。

そしてようやく気づいた。

私は、他人の声ばかり聞いて
“自分の声”を永久ミュートにしていた
って。

3章|私の小さな革命:手放し方の実践

無理な仕事を手放す

結局のところ、私のリハビリは
「断る練習」から始まった。

小さなことから挑戦した。
たとえば、即レスしない。
「また今度で」って言ってみる。

たったそれだけで、
心拍数は通勤ラッシュの改札レベル。

“いい人”を手放す

断ったあと、
“地球が爆発していないか”確認する癖までついた。

でも、不思議なことに——

世界はちゃんと動いていた。
私が貢献しなくても、
会社は問題なく回っていた(むしろ軽やか)。

そしたら今度は、
「じゃあ私って必要ないじゃん?」という
自尊心の大暴落が発生する。

心に一席、居場所をあける

回復期とは、つまり
自己肯定感の株価が乱高下する相場

上がったと思えば
「私、休んでていいの…?」
と涙目で急降下。

まるで、
“頑張りすぎ禁止”という新しい人生を
まだ身体が拒否しているようだった。

4章|そして、ようやく私の人生が始まった

「役に立つ」前に、生きていい

いまの私は、
相変わらず貢献したくなる衝動と
毎日プロレスしている。

でも、前と違うのは——

貢献は義務じゃなくて、
“嗜好品”だと気づいたこと。

コーヒーみたいなもの。
飲み過ぎると手が震える。
でも一杯なら美味しい。

自分に返ってきた、自由時間と呼吸

だから私は今日も、
「ちょっとだけ、やりますね」
と言える空欄を持つ。

過剰な貢献は、
健康を害する恐れがあります。
飲み方にはご注意ください。

そして何より覚えておきたいのは、

私の価値は、
誰かに貢献した“結果”じゃなくて、
生きてここにいる“事実”だということ。

——以上、元・貢献中毒患者からの
使用上の注意でした。

最後の「未来へ向けたひと言」(希望はブラックの先に)

生き延びることは、立派な貢献だ。

他人に評価されなくても、今日をサボっても、
私がここにいるだけで、世界はひとつ救われている。

だからこれからは
「手放す」ことで、私は私を救ってやる。

蛇神様
蛇神様

ちょっと「メンヘラ小説」みたいでした。
モノではなくて人間らしくなりましょう。

最後まで読んでくださいまして、ありがとうございます。

 

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