制度は、なぜ腐るのか
制度批判ベースで構成
第1回で見たように、公式的正義とは「ルールを平等に適用する」という原則だ。
第2回では、その物差しを歪める人間の心理的メカニズムを見た。
しかし問題は、個人の心理だけにあるのではない。
善良な個人が集まって作った組織が、気づけば不正を隠蔽する装置に変わっていることがある。
誰一人として「腐敗させよう」と意図しなかったのに、制度そのものが正義を形骸化させる方向へと動いていく。
なぜか。
答えは、組織と制度の構造そのものに腐敗の種が埋め込まれているからだ。
今回は制度批判を軸に、不作為の幇助・国家賠償法・内部告発まで幅広くカバーしました。
形骸化のメカニズム――「手続き」が「目的」にすり替わる
組織が腐敗するとき、最初に起きるのは劇的な悪事ではない。
むしろ静かな「目的と手段の逆転」だ。
本来、手続きやルールは「正義を実現するための手段」である。
しかし組織が肥大化し、制度が複雑になると、いつの間にか「手続きを守ること自体が目的」になっていく。
結果として何が起きるか。
被害者が窓口に訴えても「所定の書式で提出してください」と返される。
証拠を持参しても「担当部署が違います」と追い返される。
正しいことを主張しているのに、手続きという迷路の中で消耗させられる。
制度の番人たちは規則に従っているだけだ、と言う。
しかしその規則が、弱者を排除するフィルターとして機能しているとしたら、それは公式的正義の皮を被った制度的暴力に他ならない。
不作為の幇助――「何もしない」という加害
法律の世界に「不作為による幇助」という概念がある。
積極的に悪事を行わなくても、止める義務があったにもかかわらず何もしなかった場合、その不作為自体が法的責任を生じさせうるという考え方だ。
たとえば、部下からハラスメントの報告を受けた管理職が「大げさだろう」と放置し、被害が拡大した場合。
あるいは、危険な状況を把握していた行政機関が「管轄外」を理由に動かず、被害者が取り返しのつかない状況に追い込まれた場合。
これらは「何もしていない」のではなく、「するべきことをしなかった」という積極的な選択だ。
沈黙は中立ではない。
力のある側の沈黙は、常に強者への加担として機能する。
制度の中に組み込まれた不作為は、組織ぐるみの共犯関係を静かに形成していく。
国家賠償法という「最後の砦」
では、制度による不作為や権利侵害に対して、市民はどう対抗できるか。
日本には国家賠償法という法律がある。
国や地方公共団体の公務員が、職務上の行為によって市民に損害を与えた場合、国や自治体がその賠償責任を負うという仕組みだ。
重要なのは、「作為」だけでなく「不作為」も対象になりうるという点だ。
対処する義務があったにもかかわらず放置した結果、被害が生じた場合、その「何もしなかった」行為が賠償の根拠となりえる。
しかし現実には、この法律が機能するためには高いハードルがある。
被害者自身が
「義務があったこと」
「それを怠ったこと」
「その結果として損害が生じたこと」
を立証しなければならない。
訴訟には時間も費用もかかる。
そして相手は、豊富な法的リソースを持つ国家という巨大な組織だ。
制度は存在する。
しかしその制度にアクセスできるかどうかが、すでに平等ではない。

国家の立場から、自分が不利になる証拠を差し出すと思えないし…。
無理があるよね。
内部告発という孤独な戦い
腐敗した組織の中で、それでも声を上げようとする人間がいる。
内部告発者、いわゆるホイッスルブロワーだ。
日本では2004年に公益通報者保護法が制定され、内部告発者を解雇や不利益処分から守る仕組みが整えられた。
しかし現実には、告発後に事実上の村八分にされ、キャリアを失い、精神的に追い詰められるケースが後を絶たない。
なぜか。
法律は存在しても、組織の論理は法律より速く動くからだ。
正式な処分が下される前に、人間関係の孤立、業務上の嫌がらせ、昇進の停止といった「証拠に残りにくい報復」が静かに始まる。
正義のために声を上げた人間が、制度の網の目をくぐった報復によって沈黙させられる。
これもまた、腐敗構造が自己を守るための洗練されたメカニズムだ。
腐敗は「例外」ではなく「構造」だ
ここまで見てきた問題に共通するのは、腐敗が特定の悪人による例外的な逸脱ではないという点だ。
手続きの形骸化、不作為の連鎖、制度へのアクセス格差、内部告発者への報復。
これらはすべて、組織と制度が自己保存のために自然と発達させるメカニズムだ。
政治学者ロベルト・ミヘルスは1911年の著書『政党社会学』の中で、「寡頭制(かとうせい)の鉄則(Iron Law of Oligarchy)」を提唱した。
組織論における最も有名な理論の一つです。
「いかに民主的な理念を掲げた組織であっても、巨大化・複雑化すれば、必然的に少数による支配へと行き着く。」
民主的な理念を掲げた組織も、大きくなれば必ず少数のエリートによる支配構造(寡頭制)に収束していく、という観察だ。
ロベルト・ミヒェルス(Robert Michels)
ドイツ出身の社会学者・歴史学者、19-20C。
著書:『現代民主主義における政党の社会学-集団活動の寡頭制的傾向についての研究』(1911年)
Zur Soziologie des Parteiwesens in der modernen Demokratie : Untersuchungen über dir Oligarchischen Tendenzen des Gruppenlebens
なぜか。
組織が大きくなれば、高度な専門知識を持つ特定のリーダー層に権限が集中する。
一般のメンバーは日常業務に追われ、情報と決定権を持つ指導者層に依存するようになる。
当初は民主的に設立された組織(例:ドイツ社会民主党)であっても、組織の維持・拡大が進むにつれて、内部の指導者が強大化し、大衆を指導するようになる。
指導者は専門化し、恒常的に権力を握り続ける。
大衆が反乱を起こしても、組織のリーダーが常に勝利する傾向がある。
この理論は、大規模組織において「真の民主主義」は実践不可能であることを示唆している。
自己保身
そして指導者層はやがて、組織の本来の目的よりも自分たちの地位と組織の存続そのものを優先し始める。
これは例外ではなく、組織というものの本質的な傾向だ。
ミヘルスは民主主義を標榜するドイツ社会民主党(Sozialdemokratische Partei Deutschlands, SPD)ですらこの傾向から逃れられなかったことを分析し、「組織と言う者は寡頭制を意味する」と結論付けた。
正義を守るために作られた制度が、やがて正義を守る側の利益を守る装置へと変質していく。
これは腐った個人の問題ではなく、組織というものに内蔵された、抗いがたい重力だ。
[まとめ]制度を信じることと、制度を疑うことの両立
公式的正義は、ルールと制度を信頼することで成立する。
しかしその制度自体が腐敗の温床になりうるという事実を直視しなければ、信頼は盲信に変わる。
制度を信じながら、同時に制度を疑う。
その緊張感を保ち続けることが、正義を生きたものにするために不可欠だ。
制度の腐敗に対抗する最初の一歩は、「これはおかしい」という個人の感覚を、握りつぶさないことから始まる。
次回は、この腐敗した人間の制度に対して、AIというテクノロジーがどこまで「公平な天秤」として機能しうるかを検証する。
最後まで読んでくださいまして、ありがとうございます。
第4回「AIは天秤になれるか|公式的正義Ⅳ」 ―データは中立か。
アルゴリズムの中に潜む、新たな差別の種。(Ⅱ④)

コメント