「知っておくことが脳の構造を変える。」
「おかしい」と感じたのに、言葉にできなかった。
「自分がおかしいのかもしれない」と思い込んだ。
声を上げたら、損をした。
そういう経験に、名前をつけるシリーズです。
知ることで気づき、気づくことで防御できる。
6つの概念を、ゆっくり読んでいってください。
シリーズ構成
| 回 | テーマ | 問い |
|---|---|---|
| ① | 道徳的免責 | なぜ加害者は自分を悪いと思わないのか |
| ② | 公式的正義 | 「全体のため」はなぜ個人を黙らせるのか |
| ③ | 制度的暴力 | 悪者がいないのに、なぜ人は傷つくのか |
| ④ | 集団思考 | 「みんなそう言ってる」が判断を狂わせる |
| ⑤ | 正常性バイアス | 「まさかうちに限って」が危険な理由 |
| ⑥ | 認知的不協和 | おかしいと気づいていても、動けない理由 |
読む順番は①→②→③が特におすすめです。「心理 → 言葉 → 構造」の順に理解が深まります。
① 道徳的免責(Moral Disengagement) -なぜ加害者は、自分を悪いと思わないのか-
知る
道徳的免責の概要
「あんなひどいことをして、なぜ平気でいられるのか。」
職場でハラスメントを受けた人が、最初に感じる疑問のひとつです。
答えは、加害者が「自分は悪いことをしていない」と本気で思っているからです。
これを説明する概念が、道徳的免責(Moral Disengagement)です。
心理学者アルバート・バンデューラが提唱したこの概念は、人が自分の加害行為から「道徳的な痛み」を切り離すメカニズムを指します。
人間は本来、自らの行動を律する道徳的基準を持っています。
しかし、ある種の認知的メカニズムによって、その基準を一時的に「免責(disengage)」できる。
バンデューラはこれを、道徳的束縛からの解放メカニズムと名づけました。
加害者の頭の中にある言葉(4例)
加害者の頭の中では、こんな言葉が動いています。
– 「組織のためにやっている」(道徳的正当化)
– 「自分はただ指示に従っただけ」(責任の分散)
– 「あいつが先に悪いことをした」(被害者の非難)
– 「みんなやっていること」(比較による矮小化)
これらは言い訳ではなく、本人にとってはリアルな認知です。
だから反省しない。
だから繰り返す。
8つのメカニズム――加害者の頭の中で何が起きているのか
バンデューラは、道徳的免責を引き起こすメカニズムを8つに整理しました。
一つひとつ見ていきます。
① 道徳的正当化(Moral Justification)
「これは正しい目的のためだ」と非道徳的行動を正当化する。
職場での例:
「厳しく指導しているのは、あなたを成長させるためだ」
「会社のためを思ってやっている」
戦争での例:
「平和を守るための戦いだ」
「民主主義を広めるためだ」
行為そのものは変わらない。
しかし、「大義」という名の額縁に入れると、急に正当に見えてくる。
これが道徳的正当化の構造です。
② 婉曲的ラベリング(Euphemistic Labeling)
表現を柔らかくして、行為の本質を隠す。
職場での例:
大規模なリストラを「リソースの最適化」と呼ぶ。
ハラスメントを「熱心な指導」と言い換える。
戦争での例:
民間人の犠牲を「付随的被害(Collateral Damage)」と呼ぶ。
言葉が変わると、現実の痛みが薄れる。
「リストラ」と「最適化」では、受ける印象がまったく違います。
言語は認知を操作する。
その最も日常的な形が、婉曲的ラベリングです。
③ 有利な比較(Advantageous Comparison)
「もっとひどいことをしている人がいる」と比べて、自分の行為を小さく見せる。
職場での例:
「自分のやっていることは、あの上司に比べればまだ優しい」
「他の会社ならもっとひどい扱いをされる」
SNSでの例:
「このくらいの書き込みは、ネット上では普通だ」
比較の対象を「より悪いもの」に設定することで、自分の行為が相対的に「許容範囲内」に見えてくる。
基準が下がり続けると、歯止めがなくなります。
④ 責任の転嫁(Displacement of Responsibility)
「上の命令だから」と、責任を権威者に押しつける。
職場での例:
「自分は指示に従っただけで、判断したのは上司だ」
「会社の方針だから、自分には選択肢がなかった」
責任の所在が「自分」から「権威」に移動することで、加害への罪悪感が消える。
「命令に従う」という行為が、道徳的な免罪符になります。
⑤ 責任の拡散(Diffusion of Responsibility)
「みんなでやったから」と、集団に責任を分散させる。
職場での例:
「他のメンバーも全員黙認している」
「自分一人が反対しても何も変わらない」
「チームとして決めたことだ」
責任が薄まると、行動への心理的ハードルが下がります。
集団でのいじめ、組織ぐるみの不正、これらが起きやすいのは、責任の拡散が働くからです。
⑥ 結果の歪曲(Distortion/Minimization of Consequences)
「たいして傷ついていない」と、被害を過小評価する。
職場での例:
「あのくらいで落ち込むのは、メンタルが弱すぎる」
「注意しただけで、傷つくほどではないはずだ」
SNSでの例:
「顔の見えない相手に何を言っても、現実には影響しない」
「ネット上のことだから、冗談で済む」
特にオンラインでは、距離を取ることができる利点はありますが、
被害者の反応が直接見えないため、この歪曲が起きやすい。
相手が泣いていても、加害者には見えません。
⑦ 被害者への責任転嫁(Attribution of Blame)
「あいつが悪いからこうなった」と、被害者に原因を求める。
職場での例:
「あの態度をとるから指導される」
「仕事ができないから怒られて当然だ」
「挑発したのは向こうだ」
加害者が被害者役に自分を置き換えることで、罪悪感を打ち消す。
「自分こそ被害者だ」という認知が生まれると、さらに攻撃がエスカレートします。
⑧ 非人間化(Dehumanization)
相手を「人間以下」と見なすことで、攻撃への共感ブレーキを外す。
職場での例:
「あいつは使えない」
「あの人間は組織に要らない」と、人格ではなく機能で評価する。
SNSでの例:
相手をモノとして扱い、
血の通った人間であることを忘れる。
オンラインでは顔が見えない分、非人間化が加速しやすい。
しかし、より深刻なケースもあります。
距離を取って匿名で活動している相手の個人情報を意図的に暴き、
「アカウント」ではなく「実名の標的」にしてから攻撃するという構造です。
これは非人間化と個人情報漏洩が組み合わさった複合的な暴力であり、
被害者にとって逃げ場がなくなります。
さらに深刻な事例があります。
SNSを開設したばかりで、フォロワーもなく、まだ何も発信していない段階から、
学校関係者が匿名アカウントの本人を把握していたとしたら――。
学校は個人情報を持っています。
そしてその個人情報が、匿名アカウントと紐づけられる。
「学校として把握するのは当然だ」という道徳的正当化のもと、監視が始まります。
その後、何かのきっかけ
――劣等感、ストレス、感情のはけ口が必要になったとき――
本人であることが周囲に暴かれ、サンドバッグにされる。
これは単なるネットいじめではありません。
個人情報の管理権限を持つ立場が、
その権限を使って匿名の保護を剥ぎ取るという、
権力の非対称性を利用した暴力です。
被害者は「距離を取るために匿名を選んだ」にもかかわらず、
その距離を一方的に消されます。
子どもに限らず、大人であっても匿名で活動する権利はあります。
個人情報を知っているからといって、
匿名アカウントと実名を紐づけて第三者に伝える行為は、
プライバシーの侵害にあたります。
「知っている」ことと「暴いていい」ことは、まったく別の話です。
論文(Nocera et al., 2022)によると、
非人間化はサイバー攻撃のすべての形態を予測した唯一のメカニズムでした。
オンラインでは顔が見えない分、この非人間化が加速しやすい。
最も根深く、最も危険なメカニズムです。
気づく
気づくサイン
道徳的免責が起きているとき、加害者はこんな言葉を使います。
- 「厳しくしているのはあなたのためだ」(道徳的正当化)
- 「これくらいで傷つくなんて」(結果の歪曲)
- 「弱いから傷つく。強くなればいい」(被害者への責任転嫁)
- 「自分だって昔は同じ目に遭った」(有利な比較)
- 「会社の方針だから仕方ない」(責任の転嫁)
- 「みんなそう思っている」(責任の拡散)
特に「自分も経験した」という一文は注意が必要です。
「自分も経験した」という事実が、加害を正当化する根拠になっています。
被害の連鎖が、道徳的免責によって継続していく典型的なパターンです。
また、これらは複数が同時に機能します。
「会社のためだから(道徳的正当化)、
上の指示に従っただけで(責任の転嫁)、
みんなもやっていることで(責任の拡散)、
あいつが弱すぎる(被害者への責任転嫁)」
――4つが重なると、加害者の免責システムは非常に強固になります。
防御する
防御法(距離を置く)
道徳的免責から自分を守るために、3つのアプローチがあります。
① 責任の所在を明確にする
「みんなやっている」
「命令だから」
という言葉を、そのまま受け取らない。
「では、あなた自身はどう判断しましたか?」
と問い返す視点を持つことが、免責の連鎖を断ち切る第一歩です。
組織においては、
「誰がどの判断に責任を持つか」
が可視化されている環境が、免責を起きにくくします。
② 相手への影響を想像する
自分の言葉や行動が、
相手にどんな感情をもたらすかを、
一度立ち止まって考える。
「この言葉を受け取った相手は、どう感じるか」。
それだけで、非人間化のブレーキになります。
③ 「一呼吸」置いて考える
正当化のロジックに飲み込まれる前に、
客観的な視点を入れる。
「この行為を、自分の大切な人に説明できるか」
「3年後の自分が振り返ったとき、どう思うか」
と自問する。
そして、最も重要な防御が一つあります。
加害者の「正当化の言葉」は、反論しても変わりません。
なぜなら、それは論理ではなく認知の歪みだからです。
正しさで戦っても、相手の免責システムをより強固にするだけです。
有効な防御は、
「正しさの証明」ではなく距離を置くことです。
その人の言葉を「事実」として受け取らない。
「この人は免責システムの中にいる」と理解する。
それだけで、自分を守る力がかなり変わります。
「道徳的免責を持つ人の末路」について
信用されない人と同じか?
結論から言うと――”重なる部分が多い、でも少し違う“です。
共通する末路
- 人が静かに離れていく
- 信頼関係が築けない
- 「なぜか人間関係がうまくいかない」と感じ続ける
- 反省しないので、同じことを繰り返す
「信用されない人」との違い
| 信用されない人 | 道徳的免責の強い人 | |
|---|---|---|
| 自覚 | うっすらある | ほぼない |
| 孤立の原因 | 行動の問題 | 認知の歪み |
| 末路 | 孤立・自己嫌悪 | 孤立・でも「周りがおかしい」と思う |
| 変われるか | 気づけば変われる | 気づかない限り変われない |
最大の違いは「自己嫌悪があるかどうか」です。
道徳的免責が強い人は、孤立しても「自分は悪くない、周りがおかしい」という認知のまま終わります。
これが信用されない人の末路より、ある意味でより深刻かもしれません。
最後まで読んでくださいまして、ありがとうございます。



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