歪む正義の心理学|トリビアシリーズ 全6回
Ⅲ. 制度的暴力(Structural Violence)
―悪者がいないのに、なぜ人は傷つくのか―
「見えない暴力」はなぜ見えないのか(第2回)
前回まで見てきたように、制度的暴力(構造的暴力)とは、誰かが直接手を下すのではなく、社会の仕組みそのものが人々の命や可能性を奪う暴力の形態です。
社会の仕組み、格差、法制度、文化的な偏りなどが原因で、特定の人々が不利益や生命の危機に晒される、目に見えにくい暴力の形態です。
ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥング(Johan Vincent Galtung, 20-21C)が1969年に提唱したこの概念は、「戦争がない=平和」という常識を根底から覆しました。
しかし、ここで一つの根本的な問いが生まれます。
――なぜ私たちは、その暴力に気づかないのでしょうか。
貧困、格差、差別。
データとして見れば明らかな不公正が、なぜ「当たり前」として受け入れられてしまうのか。
その答えは、社会構造の外側ではなく、私たちの心理の内側にあります。
ガルトゥングは、単に戦争がない状態(消極的平和)だけでなく、この構造的暴力がない状態を積極的平和と呼びました。
暴力の三角形――三層構造で社会を読む
ガルトゥングは、暴力を三つの層に分けて捉えました。
物理的暴力(直接的)、構造的暴力に加え、それらを正当化する「文化的暴力」の3つの要素を挙げ、平和研究においては、この構造的な不平等を解消する「積極的平和」の追求が重要であると説いています。
直接的暴力
Visible/事件
(水面上に見える部分)
殴る、戦争する、殺す。
目に見える「出来事」としての暴力です。
構造的暴力
Invisible/プロセス
(水面下に沈む部分)
貧困、差別的な法律、医療や教育への不平等なアクセス。
社会に組み込まれた「仕組み」としての暴力です。
直接手を下す加害者がいないため、責任の所在が曖昧になります。
文化的暴力
Invisible/不変的
(水底に堆積した部分)
宗教、イデオロギー、「常識」。
偏見、正当化の理論、長い時間をかけて定着した「価値観」。
直接的・構造的暴力を正当化し、見えなくする価値観の体系です。
この三層は互いに支え合っています。
文化的暴力が構造的暴力を「仕方のないもの」として維持し、その帰結として直接的暴力が生まれる。
ガルトゥングはこの循環を「暴力の三角形」と呼びました。
正義が歪むとき――心理学的メカニズム
ここからが本稿の核心です。なぜ人は、不正義な構造を「正義」だと感じてしまうのでしょうか。
❶ システム正当化バイアス
社会心理学者ジョン・ジョストが提唱した理論によれば、人間には自分が属する社会システムを正当化しようとする心理的傾向があります。
たとえ自分がそのシステムによって不利益を被っていても、です。
「今の社会はだいたい公平だ」と信じることで、私たちは不安や認知的な混乱を回避できます。
しかしその代償として、構造的な不公正に対して目を閉じる動機が生まれます。
❷ 自己責任論という文化的暴力
「貧しいのは努力が足りないから」
「非正規なのは自分で選んだから」――これらの言説は、単なる個人の意見ではありません。
ガルトゥングの言葉を借りれば、構造的暴力を個人の問題にすり替え、社会構造への批判を封じ込める「文化的暴力」そのものです。
恐ろしいのは、この論理が被害者自身にも内面化されることです。
搾取される側が「これは自分のせいだ」と思い込むとき、抵抗の芽は摘み取られます。
❸ 不可視性の罠――優位な側には見えない
構造的暴力にはもう一つの特徴があります。
恩恵を受けている側からは、ほぼ見えないという点です。
水の中にいる魚が水の存在に気づかないように、制度によって守られている人々は、その制度が誰かを傷つけていることに気づきにくい。
これは悪意ではなく、構造が生み出す認知の限界です。
身近な事例で読み解く
非正規雇用の格差
同じ仕事をして異なる賃金を受け取るという構造的暴力を、「努力すれば正社員になれる」という文化的暴力(自己責任論)が支えています。
結果として生じる経済的困窮、メンタルヘルスの悪化、最悪の場合は自死――これが直接的暴力として表れます。
ヤングケアラー問題
公的ケアの不備という構造的暴力を、「家族の世話は美徳」という文化的暴力(家族主義)が覆い隠しています。
子どもたちから奪われる教育・遊び・将来の可能性こそが、見えにくい形の直接的暴力です。
「積極的平和」へ――気づくことから始まる
ガルトゥングは、戦争のない状態を「消極的平和」、構造的暴力まで解消された状態を「積極的平和」と呼びました。
真の平和に向かうために必要な第一歩は、制度でも法律でもなく、気づくことです。
ニュースで流れる悲惨な事件の背後に、「それを許している仕組み」と「それを正当化する空気」を見出せるかどうか。
私たちが日常の中で無意識に口にする言葉の中に、誰かの声を封じ込める「文化的暴力」が潜んでいないかを問えるかどうか。
正義が歪む瞬間は、劇的な場面にではなく、あまりにも静かな日常の中に潜んでいます。
最後まで読んでくださいまして、ありがとうございます。
次回「制度的暴力Ⅲ」第三回では、この心理的メカニズムに抗うための具体的な思考法を探ります。

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