「普通の人でも、状況次第で残酷になる」。
この言葉とともに語られることが多いのが、1971年に行われたスタンフォード監獄実験です。
本記事は、脱個人化と集団心理を考える全6回シリーズの第1回です。
シリーズの入口として、まずスタンフォード監獄実験の経緯と、近年の批判を解説します。
炎上シリーズも、脱個人化や集団極性化といった心理学の視点が加わることで、個人の心理だけでなく、集団の中で攻撃が広がる仕組みまで掘り下げられます。
スタンフォード監獄実験とは
スタンフォード監獄実験は、1971年8月、スタンフォード大学の心理学部の地下に作られた模擬監獄で行われた研究です。
スタンフォード大学の社会心理学者フィリップ・ジンバルドーが研究責任者を務め、大学院生のクレイグ・ヘイニーとウィリアム・カーティス・バンクス、学部生のデヴィッド・ジャッフェ、刑務所の元受刑者でアドバイザーのカルロ・プレスコットらが運営に加わりました。
目的は、人が特定の「社会的役割」や「環境」を与えられたとき、行動がどれだけ変化するかを調べることでした。
この実験は、社会的役割や状況が人間の行動に影響するという議論の中で、広く知られています。
参加者は、新聞広告で募集された24人の男子大学生です。
心理テストなどで心身の健康が確認されたあと、くじのようにランダムに看守役と囚人役に割り当てられました。
看守役は8時間交代で勤務し、囚人役は模擬監獄で生活しました。
研究は2週間の予定でしたが、6日で終了しています。
実験の経過
看守役への指示
ジンバルドーによると、看守役への指示は次のようなものでした。
殴ってはいけないが、退屈、不安、無力感を与えてよい。
そして「自分たちが状況を完全に支配し、囚人には何の力もない」という状態を作る。
ただし、効果的な看守のやり方について、具体的で正式な指示は与えていないとされています。
2日目の反乱
当初、看守役は役割に慣れず、ぎこちない様子だったといいます。
転機になったのは2日目で、囚人役が反乱を起こし、看守役と対立しました。
看守役がこれを鎮圧すると、囚人は「危険だ」という見方が広がり、一部の看守がより強硬になっていきました。
エスカレートする行為
時間が経つにつれ、看守役の一部は、囚人役に屈辱的な行為を強いるようになりました。
夜勤の看守の一人は、囚人たちから「ジョン・ウェイン」と呼ばれていました。
映画に出てくる所長を手本に「厳しい看守」を演じるうちに、役割を超えた行為へエスカレートしたとされています。
一方、看守役にはさまざまなタイプがいました。
残酷さを増していった者、穏やかな態度を保った者、囚人から「良い看守」とみなされた者もいました。
ただし、ジンバルドーによれば、「良い看守」が仲間の残酷な行為を止めることはなかったといいます。
囚人役の離脱
囚人役の中には、強い精神的苦痛を訴える者が出ました。
「囚人8612」とされたダグラス・コーピは、早い段階で実験から離れました。
彼を含め、5人の囚人役が途中で解放されています。
なぜ6日で終了したのか
終了の理由は、看守役の行為が虐待的になり、囚人役の苦痛が深刻になったことです。
そして、決定的なきっかけとして語られているのが、クリスティーナ・マスラックの異議です。
ジンバルドー本人の2018年の声明
マスラックは、当時UCバークレーの新任の心理学者で、ジンバルドーと交際していました。
実験5日目の夜、ジンバルドーを夕食に誘いに来た彼女は、フードをかぶせられ鎖でつながれた囚人たちの扱いを目にして、涙ながらに部屋を出ました。
ジンバルドーによれば、マスラックはこのとき、「あなたは、学生を大切にする教師から、学生の苦しみに無関心でいられる人間に変わってしまった」という趣旨のことを告げ、このままでは関係を続けられないと伝えたといいます。
ジンバルドーは、これが「目を覚ますきっかけ」になったと語っています。
翌朝、実験は終了しました。
ジンバルドー自身は、実験の最大の欠陥は、自分が研究責任者でありながら「刑務所の所長」という役に入り込み、独立した科学的観察者がいなかったことだと述べています。
二人は後に結婚し、52年連れ添いました。
実験が示したとされること
ジンバルドーは、この実験の核心を、状況や制度の力が、個人の行動を本人も気づかないまま変えうるという点に置いています。
参加者は、これが実験であることを知っていたにもかかわらず、次第に看守や囚人という役割を自分のものとして受け入れていったとされます。
なお、ジンバルドー自身が2018年に述べた核心のメッセージは、「模擬の刑務所は本物と同じだ」ということではありません。
状況の力を過小評価したとき、誰にでも何が起こりうるかを示す「警告の物語」だという位置づけです。
ジンバルドー本人が運営する実験の公式サイト(prisonexp.org)などで、時期や経緯を確認してください。
実験への批判と、ジンバルドーの反論
後年の研究では、実験者による、実験方法の妥当性などが批判的に検討されています。
近年、この実験には批判が相次いでいます。
音声記録や資料の公開を通じて、ジンバルドーや研究チームが看守役に「もっと厳しくするように」といった指示や介入・働きかけをしていたとされ、結果は「純粋な人間の性質」ではなく、実験者の演出や誘導(デマンド特性)に影響されたものだった可能性が指摘されています。
2018年にはベン・ブラムがブログで「詐欺」「嘘」と厳しく批判し、フランスの研究者ティボー・ル・テクシエは、保存された資料を分析し、2018年に書籍を、2019年に論文を発表しました。
ここでは主な論点と、ジンバルドーが2018年に出した反論を紹介します。
批判① 看守役への指示が結果を歪めた
批判:
ル・テクシエの論文は、看守役が囚人への扱いについて、具体的な指示を受けていたと指摘しています。
実験者の期待が参加者に伝わり、期待通りに振る舞ったのではないか(デマンド特性)という批判です。
Bartels(2019)も、看守役へのオリエンテーションを分析し、同様の論点を検討しています。
ジンバルドーの反論:具体的なやり方は指示していない。
録音されたオリエンテーションで、自分が伝えたのは、殴らないこと、そして無力感などを与えてよいことだけだったと主張しています。
「厳しくあれ」という要請は、実際の刑務所や軍隊の圧力に比べれば穏やかだとしました。
また、看守の中には穏やかな者や「良い看守」もいたことは、残酷な行為が各自の判断によるものだった証拠だと述べています。
批判② 囚人の「精神的破綻」は演技だった
批判:
囚人8612のコーピ本人が、ブラムの取材に「演技だった」と話しているとされます。
ジンバルドーの反論:
研究者は、破綻していると見えれば、たとえ後で偽装だとわかっても、本物として扱う倫理的義務があると述べています。
また、コーピの説明は何十年もの間に何度も変わっていると指摘しました。
ドキュメンタリー映画『Quiet Rage』では、コーピ自身が、あの経験は人生で最も動揺した経験だったと語っています。
批判③ 看守の「ジョン・ウェイン」は演技だった
批判:
最も残酷だった看守は、役を演じていただけだという指摘です。
ジンバルドーの反論:
本人が、映画『暴力脱獄』の所長を手本にしたと説明している点は認めつつ、その後の行為は「厳しい看守」の範囲を大きく超えていたと反論しました。
同じ勤務の他の看守も、屈辱的な行為に加わっていたといいます。
批判④ BBCの追試では再現しなかった
批判:
2002年に、英国のBBCが行った類似の研究では、看守役はむしろ囚人役に押され、残酷にならなかったとされています。
研究にはリチャード・ハスラムとスティーブン・ライヒャーが関わっており、集団のリーダーシップと同一化が、行動を左右するという立場から分析されました。
ジンバルドーの反論:
あれはテレビ番組で、参加者は全員、自分たちの姿が全国放送されると知っていたため、科学的な追試に当たらないと主張しています。
研究者が頻繁に介入し、毎日の心理テストや「看守への昇格競争」まで行っていた点も、条件が違うと指摘しました。
批判⑤ 元スタッフが「嘘だ」と述べた
批判:
2005年、学生新聞に、「スタンフォード監獄実験の嘘」と題した記事が載りました。
ブラムは、これを実験の元アドバイザー、プレスコットが書いたものとして紹介しました。
ジンバルドーの反論:
この記事はプレスコットが書いたものではなく、別人が書いたものだと主張しています。
批判⑥ 査読のある学術誌を避けた
批判:
初期の発表が、査読誌ではなかったという指摘です。
ジンバルドーの反論:
最初の論文は、研究費を出した海軍研究局の機関誌に載せることが条件だったと説明しています。
その後は、犯罪学の学術誌や、査読のある学術誌にも発表しました。
「状況のせい」にして責任を免除する、という批判
実験が「状況のせいで、人は悪くない」という見方につながるという批判もあります。
ジンバルドーは、状況を理解することは免責ではなく、人は行動の結果に対して常に責任を負うと反論しています。
そのほかの批判
選抜の偏りを指摘する研究もあります。
「刑務所生活の研究」という募集広告が、攻撃的な傾向を持つ人を引き寄せた可能性があるというものです(Carnahan & McFarland, 2007)。
また、ジンバルドーが所長役を務めたことで、中立的な観察者がいなかった点は、ジンバルドー自身も欠陥と認めています。
核心のメッセージは「現実の刑務所と同じ」ではなく、「状況の力を過小評価すると何が起こりうるか」という警告だと述べています。
現在の評価をどう読むか
ここまでの批判と反論を踏まえると、次の二点は慎重にまとめられます。
- この実験の結果を、「普通の人間でも、環境が変われば必ず残虐になる」という一般法則として扱うことはできません。
看守役への働きかけ、参加者の動機、実験者の関与など、結果に影響した可能性がある要素が、複数指摘されています。 - 一方で、「状況や役割は、人の行動に影響しうる」という大枠そのものは、ほかの研究の知見とも関わっており、完全に否定されたとまでは言えません。
つまり、この実験は、状況の力を示す「決定的な証拠」ではなく、そこから何を学び、何に注意するべきかを考える材料として読むのが適切です。
この実験から考えるべきこと
人間の行動が個人の性格だけで決まるわけではないという問題と同時に、研究結果を解釈するときには、実験方法や研究者の関与を慎重に検討する必要があるということです。
なお、ジンバルドー自身も、現在の倫理基準では、同様の実験を行うことはできないと述べています。
脱個人化との関係
看守役は制服とサングラスを着け、囚人役は番号で呼ばれました。
こうした要素は、脱個人化の議論と結びつけて語られることも多いです。
ただし、この実験は脱個人化を直接検証するために設計されたものではなく、脱個人化の決定的な証拠として扱うことは適切ではありません。
脱個人化の研究が、その後どう発展したのか。
次回は、メタ分析とSIDEモデルを紹介します。
次回予告
では、脱個人化とは何なのか。
次回は、その基本的な考え方を解説します。
参考文献・研究資料
- Zimbardo, P. (2007). The Lucifer Effect: Understanding How Good People Turn Evil. Random House.
- Zimbardo, P. (2018). Philip Zimbardo’s Response to Recent Criticisms of the Stanford Prison Experiment. Stanford Prison Experiment website (prisonexp.org).
- Le Texier, T. (2019). Debunking the Stanford Prison Experiment. American Psychologist, 74(7), 823–839.
- Bartels, J. M. (2019). Revisiting the Stanford prison experiment, again: Examining demand characteristics in the guard orientation. The Journal of Social Psychology, 159(6), 780–790.
- Reicher, S., & Haslam, S. A. (2006). Rethinking the psychology of tyranny: The BBC prison study. British Journal of Social Psychology, 45(1), 1–40.
- Carnahan, T., & McFarland, S. (2007). Revisiting the Stanford Prison Experiment: Could participant self-selection have led to the cruelty? Personality and Social Psychology Bulletin, 33(5), 603–614.
最後まで読んでくださいまして、ありがとうございます。

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